100年前の関東大震災で示した誠実 | 武田薬品

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100年前の関東大震災で示した誠実

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2023年8月31日

100年前に関東大震災が起きたとき、5代目武田長兵衞は、患者さんと医学の将来を守るために奔走しました。

1923年9月1日午前11時58分、マグニチュード7.9の巨大地震が関東地方を襲いました。昼食の時間帯と重なり、各地で大規模な火災が発生。木造建築が密集していた東京は、あっという間に炎に包まれました。この地震により、津波や地すべりなども誘発され、全国で死者・行方不明者は約10万5000人にのぼり、約29万棟の家屋が失われました1,2

東京駅前の焼け跡

東京駅前の焼け跡2

日本政府は負傷者への医薬品提供を急務とし、医薬品緊急徴発を開始しました。当然、タケダに対しても多くの医薬品提供依頼が寄せられました。これに加えて、被災地方の民間企業からも医薬品の注文が殺到しました。

タケダも関東支部が被災していたものの、一部の倉庫や工場などは被害を免れていたことから、いち早く人々を支援することができました。

大正末期の荷造り場

大正末期の荷造り場

長兵衞は従業員と一丸となり、政府と民間企業双方からの要請に、懸命に応じました。膨大な発送作業が発生し、当時の荷造り場では収まりきらず、空き地で梱包作業を行うなどのイレギュラーな対応も続けました。そして、発災1カ月で、通常量を大きく上回る約14万5000個の医薬品を出荷しました。

さらに、大阪の組合長であった長兵衞は、患者さんへの貢献を第一とし、被災地への医薬品提供に積極的に応じるよう大阪の同業者を説得して回りました。結果的に、大阪から被災地方に多くの医薬品が供給されました3,4

5代目武田長兵衞

5代目武田長兵衞

後世の医学を守るために


学術的に価値のある書物が震災で焼失・行方不明となったことにも、長兵衞は心を痛めました。

長兵衞は、価値ある書物を保全する目的で、機会があるごとに、私財を投じて学術書を収集しました。そのコレクションは後に、「医学界(杏林)を潤す」ことを願って「杏雨書屋」と呼ばれるようになりました。杏雨書屋は現在、資料図書館として学術的な記録を後世に伝える役割を果たしています。

100年前の関東大震災で5代目武田長兵衞は、誠実に、自分がなすべきことをなし、公正・正直・不屈の精神を示しました。長兵衞の想いや行動は今も、タケダが守るべき価値観として、連綿と受け継がれています。

ジャパン ファーマ ビジネス ユニット プレジデントの古田 未来乃は、「5代目長兵衞の行動はまさに、創業時から続くタケダの価値観を体現したものといえます。時代が変わり、サイエンスや技術がいくら進化しても、この価値観は揺らぐことなく、今に受け継がれています。私たちは今も、そしてこれからも、患者さんに寄り添い、人々と信頼関係を築き、社会的評価を向上させ、その結果として事業を発展させるという患者さん中心の価値観を、道しるべとしていきます」と話します。

杏雨書屋の常設展示

杏雨書屋の常設展示

※本記事は武田二百年史(本編)およびThe History of Takeda(日本語訳版)を基に再構成したものです。


  1. 内閣府防災情報「関東大震災100年」特設ページ:https://www.bousai.go.jp/kantou100/Go to https://www.bousai.go.jp/kantou100/

  2. 気象庁「関東大震災から100年」特設サイト:https://www.data.jma.go.jp/eqev/data/1923_09_01_kantoujishin/album.htmlGo to https://www.data.jma.go.jp/eqev/data/1923_09_01_kantoujishin/album.html

  3. 武田二百年史(本編),1983

  4. The History of Takeda(日本語訳版),2016

<取材協力・画像提供> 武田科学振興財団、杏雨書屋:https://www.takeda-sci.or.jp/kyou/Go to https://www.takeda-sci.or.jp/kyou/