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ライフステージの変化や闘病も乗り越え、働き続ける

渡邊
グローバル マニュファクチャリング&サプライ(取材当時)

フランスで育ち、就職するにあたり帰国した。日本で働くなら、ぜひ日本企業で経験を積みたいという気持ちでタケダに入社。当時は帰国子女の入社第1号とも言われた。現在は製造・供給部門であるグローバル マニュファクチャリング&サプライにて、文書の管理やワークフローのコーディネーターとして働く。「タケダに勤めて30年ほど。3人の子育てを経験し、そのたびに出産・育児制度の充実を感じてきました。突然の闘病生活も、上司や同僚の理解や援助があり乗り越えることができた。ここまで長く働き続けてこられた環境と、周囲の温かいサポートに感謝しています」と、渡邊は笑顔で語る。

出産・子育てをするたびに進化する制度を実感

渡邊が入社した当時、日本はバブル景気のただ中にあった。昭和の勢いのまま平成に突入した頃だ。「日本で働くことが楽しくて、わくわくしながら過ごしていたのを覚えています。努力して仕事を覚え、報われて、さらに頑張るというサイクルでまい進していました」と、当時を振り返る。その後、3度の出産と子育てを経験し、変わりゆく時代とそれに応じて進化していくタケダの人事制度を肌で感じた。「1人目の出産時よりも2人目、3人目と、育児休暇などの制度がどんどん良くなっていきました。仕事と家庭を両立していく上で、制度の充実はありがたかったです」。

突然の闘病生活も、チームに支えられて克服

子育てもひと段落し、仕事も充実していた5年ほど前、乳がんが発覚した。「突然のことで大変驚きました。そして仕事をどうしようかと、正直、不安になりました」と当時を振り返る。少し悩んだあと、上司に相談したところ、「病気だからといって仕事を辞める必要はない。みんな働きながら治している。100%とはいかないまでも、勤務を続けながら闘病したっていいじゃないか」と言ってくれたという。乳がんの手術を受け、抗がん剤治療や放射線治療など長い闘病生活を経験した。当然ながら、仕事にも影響が出た。「手術そのものは2週間くらい入院するだけでしたが、抗がん剤治療が始まってからは、投与後に4日程度休んで2週間出勤するサイクルを8回も繰り返しました。放射線治療は1日15分ほどですが、ひと月近く毎日通院する必要があるため、会社と病院を往復する日々を送りました。おかげさまで今ではすっかり回復し、ずっと体調も良好です」。

闘病中に一番厳しさを感じたことは何か?という問いに、渡邊はこう答えた。「実際に患者の立場になって感じたのは、仕事を持っていて良かったという実感です。自分が『患者さん』という立場だけになると、心細くなるものです。病気とは関係ない『働く自分』という別の役割があることで、かなり救われました。フルにサポートしてくれた職場の仲間には、本当に感謝しています」。

ベテランでも進化を求められる、それが楽しい

タケダでは、製造の現場も社内外の連携に加え、国境を越えての縦・横・斜めの連携が求められる。日本語、英語、中国語が飛び交う環境で、製造や語学の知識だけでなく、ITやデジタルなど新たなスキルの習得も必要だ。「ベテランであろうとも、さらなる成長が期待されています。最近は業務の効率化のために、人工知能(AI)やロボティック・プロセス・オートメーション(RPA)を学ぶ研修を受けました。このような機会を楽しみながら、これからも進化していきたいと思います」。
最後に、タケダという職場について「患者さんを大切に考える会社なので、『病気になったから働けない』という考えはない職場です。医療に関する正確な知識を持っている人も多いため、先入観だけで判断する人はいません。誰にでも起こりうる闘病という人生のステージに直面しても、ここなら安心できると思います」という言葉をくれた。